



入院体験記
長年頻尿であったが、いよいよ末期的症状が現れたため手術となった。 まず今年6月に膀胱結石を砕く手術を行い2泊3日の入院であった。手術そのものは2時間程度で終わり、全身麻酔で眠っていたせいかまったく痛くはなかった。ただ5月から身体につけられていたカテーテルは再度付けられた。身体に特に痛いところもなく手術の翌朝に退院した。手術入院といっても単にこの病院を見学したくらいであった。しかし今回は前立腺切除の手術で、医者から1週間ほど入院が必要と言われていたのでそれなりの覚悟で病院に来た。
初日(7月29日)
入院初日、受付を済ませ看護師についていくと、今回は4階ではなく3階の4人部屋の病室に案内された。先月と違って窓際ではなく通路側であった。ベッドで持ってきたものを整理していると看護師がやって来てさっそく腕に名札のついたリストバンドがはめられた。次にコロナ感染のPCR検査、そしてひと通り病院の説明を受ける。ただ先月に入院しているのでくどくど説明はなされなかった。入院初日から手術、退院までのスケジュール表が手渡された。それによれば日毎の予定が記述されており、退院は8月3日とある。この表は手術前後の対処、検査や経過措置、食事など細かく記載されていて、その後も何回も見ることになる。次に、明日の手術に備えて麻酔科の先生が来てこれも先月と同じ内容なのか簡単な説明で終わった。そして手術は翌日の午後1時からと告げられた。今晩から絶食、水も飲まないようにと看護師から言われた。また手術の後は絶対安静で、スケジュール表によると排尿排便はベッドでと書かれてあった。排尿はこれまでカテーテルを付けられているので、いわばいつでも排尿しているわけなので問題ないが排便をベッドですることに非常に不安を感じた。それで午後に何回かトイレに行ってはきばってみたが出なかった。
手術当日(7月30日)
手術は午後1時からなので朝はゆったりできたが、手術の開始時間が予定より30分早められたことが告げられた。そして問題の排便であるが、トイレに行って気張ってやっと便が出た。これでひとまず安心した。
腕にはすでに点滴が付けられ、看護師に連れられ地下1階の手術室に向かう。手術室の看護師はまた違う人なので、入室した後看護師に名前や生年月日を告げるよう言われて別れた。そして手術室に入り看護師による本人確認が終わるとすぐに胸には心電図など身体にいろいろなセンサーを付けられ手術台のベッドに横になった。その後、麻酔が入ったのかすぐに記憶を失った。
やがて手術台で目を覚ますと医者から終わったと告げられ、前立腺は50gのところを25g切除したと言われた。部屋に戻ってベッドに横になったが、鼻には酸素パイプ、両腕に点滴が繋がっており、また尿道カテーテル、それに両足のふくらはぎには血栓予防のため空気ポンプも付けられていて、それが時々ふくらはぎを圧迫する。どうにも身動きが取れない。別に痛くはないがこう身体にいろいろなものを付けられ自由に身体を動かせないのが苦痛であった。仰向け状態のままであったがそのうち尻も痛くなってきた。点滴やカテーテルなど付けられているので横になるのも一苦労、床ズレというのはこういうことだと初めて知った。もちろん食事はなし、水も飲めない。そのうち鼻に付けられていた酸素パイプが外され、幾分楽になったが何もするでもなし夜中も幸い目を覚ますことなく眠りに入った。
さて身体が落ち着いてきたところで病室の隣りのおっさんが気になった。カーテンで仕切られているので状況が分からないがどうも気管支が悪いらしく、咳払いとかゼイゼイといった音が漏れてくる。それも大きく部屋中に聞こえる。また喘息がひどくなるとすぐナースコールして看護師さんを呼び出す。ナースコールボタンはインターコムになっていて会話ができるようになっている。漏れ聞こえる話し声から、枕の位置がどうのこうの、トイレに行きたいとか、時には夜中に何回もナースコールしてようやくやってきた看護師さんに文句を言っていた。さすが看護師さんから「私まだ4人も患者の血圧、体温など見なければならないのよ。」と反論していた。真夜中に呼び出され、私ならとっくに怒りを爆発してしまうがさすが看護師さんは落ち着いた口調であった。
3日目(7月31日)
翌朝、まだ腕には点滴、ふくらはぎにはポンプ、排尿のためのカテーテルとまだいろいろなものがつけれて自由が利かない。スケジュール表によれば本日の目標は「ベットから起き上がり歩くこと。」とある。朝食が出されたが食欲はあまり湧かない。
そういえば手術からオシメを履かされている。別に尿漏れはしないが少々血が出るせいか下着やシーツを汚すといけないので履かされていると思うが、ゴワゴワしていかにも心地良くない。また計画表では「陰部洗浄」とある。どうするのかなと思ってたら、看護師さんが暖かいウェットティッシュを何枚か持ってきて陰部を丁寧に拭いてくれた。こんなこと、初めての経験であるが、なすがまま何も感じなかった。
心電計なのか身体に取り付けられいたセンサーを取り外され、脹脛の空気ポンプも外されようやく少々楽になった。次に歩行訓練とあるが、看護師さんが支えてくれるのかなと思ったらそのまま立ち上がれるので、「歩けるでしょ!」の一言でこちらも休憩室にお茶を取りにひとりで歩いていった。ただ点滴やカテーテルをぶら下げている棒を片手で引きずりながらの歩行は鬱陶しい。病院を見渡すとほとんどの患者が同じように点滴棒を片手に廊下をゆっくり歩いている。
さて隣のおっさんであるが、夜9時消灯の後10分位してからナースコール、オシメがズレたから直して、とかで呼び出し、その後9時半頃にはトイレに行きたいとナースコール。カーテンで遮られてるのでどういう状態か分からないがそのうち車椅子に乗せられてトイレに行った。トイレからは例の大きな咳払いの音が漏れていた。いつ戻ってくるのかなと思ってたらその後隣りは暗いまま。きっとナースステーションに近い部屋に移されたみたいだ。その後部屋は静か。またナースステーションからはピコーンピコーンと心電計の音だろうか3階のフロアーで鳴り響いていた。11時頃救急車のサイレンの音が下の方から聞こえた。
4日目(8月1日)
朝目を覚めると隣りのおっさん、戻ってきているではないか。いったいどこに行ってたのであろうか。お昼前にリハビリの先生がやって来て、聞こえてくる会話から筋肉が元に戻るのに相当かかるよって言われていた。先生や看護師に昨晩はパニックになって部屋の人にも迷惑かけたと言っていた。その後体重測りに出ていった。またお昼にシャワー浴びると看護師さんと話していた。その後が私のシャワーの時間であるが汚物など落ちてないことを祈るのみで。昼食が終わりのんびりしていると隣のおっさん、看護師とシャワー中。別に羨ましくはないがシャワー室から看護師さんの笑い声が?
私の方は計画表によると今日の予定として膀胱内洗浄、それにシャワーとなっている。膀胱内洗浄ってどうするのかなと思って看護師さんに聞いたら、これは尿道カテーテルから点滴として生理食塩水を膀胱に流し込んでいるだけとのこと。また「シャワー浴可能」とあったので久しぶりに身体の隅々まで洗浄した。
これまで食事はすべからく薄味でおかずの量も少なく毎回3食ごとにご飯が180gのどんぶりで出されるのに閉口した。今宵の夕食は開院記念日ということでなんと赤飯、少々ましであった。


5日目(8月2日)
計画表では「尿管カテーテルを抜いた後排尿障害なく経過」と記載されているが担当医から「週末は休みなんで月曜日に抜きましょうね」と言われていたので、この日のミッションはシャワー浴だけであった。
夕方兄貴夫婦が見舞いに来てくれた。お義姉さんから今年の2月に腕の骨折で3~4日ほどここの病院に入院していたとのこと。それで「この病院はどう?」と尋ねられたので、「設備は立派だし看護師さんもいろいろ対応してくれる。」と答えると「ご飯はまずいよね。」ということで「それについてはまったく同感、病院食なので塩気のない料理でそんなものと思ってた。」と答えると兄貴からは「以前川崎病院に入院した時は料理はおいしかったぞ。」と言ってスマホの写真を見せてくれた。確かに内容が全然違った。病院によって差があることを知った次第。
夜の0時半頃だったか隣のおっさん、例の喘息の発作が始まり大きな咳払い、ゼイゼイといかにも苦しそうな声を出していた。ナースコールを何回もしているようであるが看護師さんがくる気配はない。「誰もいないんですか!」と少々怒りじみた声で叫んでみたり、「何回呼んだら来るですか?」と5分おきくらいにナースコール。こちらも気になって寝れない。最後には絶望感を漂う嘆き声を出していた。そして看護師さんが来たのは午前1時前位か。その時には喘息も治ってきたみたいでおっさんも看護師さんに怒鳴る様子もなく何をしてもらいたかったか、漏れ聞こえてくる会話から察するにベントを直して欲しかったようだ。きっと鼻に酸素用ベントがつけられているのであろう。そして看護師にリモコンがないと訴えると看護師は「なんのリモコン?」と尋ねるとベッドを操作するリモコンと。すると看護師からは「それは危ないから外してあるんですよ、そんなことより早く寝て下さい!」とピシャリ。そのやりとりが2~3分くらいして暗くなり静かになった。その後こちらもうつらうつらして眠ってしまったが、夜中に懐中電燈の光がその人のベッドに流れていく気配があった。その時は看護師はベッドの上げ下げだけして帰っていった様子。最初看護師は無視していたのかな?と思ったが、他の患者対応で忙しかったものと思うことにした。看護師さんも大変だなと思うとともに、場合によっては真夜中の病室はカオスになりかねない。それと人手不足もあるのでしょう。
6日目(8月3日)
朝6時前に看護師さんがやってきて私の蓄尿タンクに溜まった尿を回収した。量を測ると言ってた。その後この部屋の患者さんの尿を回収してる。そして例のおっさんのところでは、なんかジュルジュルした音がする? 喉に詰まった痰とかを回収しているのであろうか。カーテンで仕切られていて分からないがとにかく人体から出るのは汚物なので私にはとても出来そうにない作業と思われる。
例のおっさん、看護師さんに対し歯を磨いてないって。動けないのにどうやって歯を磨くのかと思ったら入れ歯を洗ってくれとのこと。そしたら看護師さんは、私のベッドのすぐ横にある洗面台でそれを洗っている。カーテン越しなので目には入らなかったが私は朝食中で距離として1m位しか離れてない。想像しただけで食欲無くす。ただでさえまずい朝食なのに。
ところで、隣のおっさん、やたらナースを呼ぶが最後には「ありがとっ」っと必ずお礼は言う。また奥様らしい人が面会にきていて、デイルームでご夫婦の様子を遠目で見ると隣のおっさん、白髪で車いすに座った状態で私よりは確実に年老いているみたいで、発作が起こらない普段の様子は普通の老人、それも紳士然とした雰囲気も醸し出ていた。
さて私の今日のミッションは尿道カテーテルを抜くことである。朝の担当医の巡回のときに「カテーテル抜きましょう。」と言われたので抜いてくれるのかと思ったが、次に「明日退院するか、それとも排尿状況をもう少し様子見て明後日にするか?」と聞かれたので「即退院したい」と申し出て翌朝退院することに決まり、それでそのまま出て行った。その後10時頃に看護師さんがやって来て「カテーテルを外しますよ!」と言っていっきに抜いてくれた。やっと自由の身体になったがすぐおしっこは出ない。カテーテルを抜く時に尿が漏れたのか部屋から出ていくよう言われた。その間看護師さんがベットのシーツを取り換えてくれていて、戻ってくると真新しいシーツに変わっていた。また看護師さんからは尿をカップに溜めてトイレの隣部屋に名前を付けられたタンクがあるのでそこに尿を溜めて下さいとのことだった。その後、少々血が混じるものの尿が出るようになった。夜中が心配であったが、2~3時間おきにトイレに行ってはカップに尿をためタンクに移す。その都度、タンクで尿量が増えていくのを見るとなんだか安心する。
その日は何もすることなく、また身体に何もつけられていないので気分も晴れて本を読んだり、メールをチェックしたりして過ごした。
7日目(8月4日)
翌朝トイレに行ってタンクに尿を流し込んだ後、なんと1.5リットルほど溜まっていた。看護師さんからも退院と分かっているのか体温、血圧測定するだけで「あとは事務方に引き継ぎますね。」と言って出て行った。それで9時過ぎには病室を出て1階ロビーで会計処理を済まし家内が病院まで運転してきてくれた車で自宅に帰った。
まとめ
1週間も入院を体験して最近の病院の様子を垣間見ることでできて貴重な経験であった。
5月1日に尿道カテーテルがつけられたままで、別に痛くはなく日常生活に特に支障もないがどうも身体の調子が良くなかった。8月3日に晴れてカテーテルが外され3ヵ月ぶりに元の身体に復帰したが、以前と同じような感覚ではない。排尿機能が正常に復帰できるか不安であったが、いまのところ順調に排出できている。
さて入院したのは総合病院なのでいろんな診療科も揃っていていろいろな患者が入院している。中にはナースステーション横にある個室にいる患者は身体にいろいろな器具が付けられていた。私みたいな患者は軽症の部類であろう。それにしても看護師さんの苦労には頭が下がる。24時間の輪番勤務で深夜のナースステーションでは看護師が出払っていたみたいで誰もおらず、患者に付きっ切りで対応していたのかもしれない。
隣の患者の様子を垣間見るに、あのような患者にはなりたくないと思うと同時に、私も最後はあのように苦しむのであろうかという不安が頭によぎった。病院のみならず介護施設でも多かれ少なかれ、あのような老人はいるであろう。看護師さんもさることながら介護士さんも大変な仕事だということをつくづく思った。
さて入院中は暇なので図書館から次の本を借りてきた。
その他、デイルームにあった「スープやしずくの事件簿」なるタイトルの軽い推理小説、また歴史雑誌を読んでいた。歴史雑誌では「古代史最大のミステリー空白の4世紀とは」という特集で、西暦266年から421年の間、現存する文献が全くないので日本がどういう国であったか解明がなかなか進まないらしい。その中で魏志倭人伝で有名な邪馬台国の記述があり、最新の学説では奈良纏向遺跡の箸墓古墳が卑弥呼の墓だという。これを読んでまた奈良に行きたくなった。

